観音崎珈琲の名前の由来と焙煎士になったきっかけ(後編)

観音崎珈琲の名前の由来と焙煎士になったきっかけ(後編)

2022年2月13日

こんにちは。

長野県下諏訪町に焙煎所があります

観音崎珈琲のシマダミライと申します。

今日のブログでは

前回に引き続き、

・観音崎珈琲の名前の由来

・焙煎士、ロースターになったきっかけ

を紹介します。

前編はこちらから↓↓↓

観音崎珈琲の名前の由来と焙煎士になったきっかけ(前編)

こんにちは。 長野県下諏訪町にて珈琲豆の焙煎をしております。 観音崎珈琲のシマダ…
kannonzakicoffee.jp

■焙煎士、ロースターになったきっかけ

実はこのテーマについては、

「yatsugatake craft coffee roasters」

という八ヶ岳の麓を拠点に活動するロースターの団体でのブログにて紹介されたものになります。

このブログを書くに当たって、

「なんで自分は焙煎士になったんだろう?」

と自分を見つめ直す良い機会にもなりました。

沢山の方から、

どうして珈琲豆焙煎を仕事にしたのか。

そういった事は聞かれるのですが、

創設以来、やたらめったらがむしゃらに動きすぎてたのも有り

自分の中で整理ができずに上手く答えられないで居ました。

ブログを書きながら

「あ、こういう気持ちで珈琲豆を焙煎したい!って思ってたんだなー。」

と再認識できました。

ちょっと長くなるので、覚悟して呼んでくださいね。笑

でも当時の自分と同じように、

悩んで苦しんでる人のちょっとしたヒント?みたいなものになるんじゃないかな。

偉そうな事を言えるような立派な人間ではありませんが、

あくまでも自分の人生のターニングポイントになった記録です。

以下、

「yatsugatake craft coffee roasters」

でも紹介されているブログになります

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

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それでは、

そんな私が珈琲豆ロースターになったきっかけについてお話します。

きっかけが訪れたのは24歳の頃

(今から7年前)

当時は生まれ育った横須賀で暮らしておりました。

昼間は大学に通い、夜勤のアルバイトをやりながら、

クラブで音楽の活動をしておりました。

そんな生活がとにかく刺激的で、

寝る時間も取らずに突っ走っておりました。

音楽活動を始めた18歳から24歳まで、規則正しい生活なんてした事が無かったです。

朝から大学に行き、帰ったら音楽活動、夜からは夜勤、

朝になり大学に行き、帰ったら音楽活動、夜になればスタジオでレコーディングやライブ、

また朝になり、、、

若いって恐ろしいですね。

案の定、24歳の頃に体調を崩してしまいました。

大学は卒業できずに中退、

生きがいだった音楽も続けられなくなってしまい、

文字通り、心にぽっかりと大きな穴が空いてしまいました。

そんな時に珈琲と出会いました。

祖母の家が山梨にあり、農家をしています。

体調を崩した事で、

なにもやる事が無くなってしまい、

抜け殻状態だった自分は気分転換に山梨に百姓仕事を手伝いに来ました。

そこで少し足を伸ばし、

八ヶ岳の麓をふらふらしていました。

そこでふと、

立ち入ったお店で飲んだ珈琲と、

八ヶ岳の麓で地に足をつけて生活をしている「ヒト」に魅せられました。

生きがいだった事を続けられなくなり、

抜け殻のようだった自分が、

どこか安心してしまうような空間だったのを今でもよく覚えています。

原村HIKEさんで出店する道の途中撮影した八ヶ岳
原村HIKEさんで出店する道の途中撮影した八ヶ岳

そこからは頻繁に八ヶ岳の麓を訪れ、

そのお店で珈琲を飲み、

居合わせた旅人たちとおしゃべりをし、

焚き火しながらギターで歌を唄ったりしていました。

焚き火が趣味になったのもこのお店のおかげです

また八ヶ岳を眺めていると色んな表情をしているんですよね。

すごく優しい表情だったり、

凛々しくて勇気をもらえたり。

そんな八ヶ岳を眺めるのが大好きでした。

そんな時間を過ごしていると、

「いずれは八ヶ岳の麓でこんな生活ができたら良いなー。」

と感じるのが普通ですよね。

ただ、自分の場合は

「いずれ八ヶ岳の麓に来て生活するんだろうなー。」

と感じたんです。

夢ではなくて目標になっていたんですよね。

気付いたら心に空いた大きな穴が塞がっていました。

そこからは横須賀のコーヒーショップを回って、修行できる場所を探しました。

それでも雇ってもらえる場所は見つからず。。

門前払いを食らったりもしました。

それでも1軒の喫茶店だけ、

「雇ってはあげられないけど、珈琲飲みに来てくれたら教えてあげられる事は教えてあげるよ」

と言ってくれたお店がありました。

そこのお店に通い、そこのお店のブレンドを飲み続けました。

エチオピアベースの優しい酸味と柔らかいコクのブレンドです。

昔のスマホに1枚だけ残っていたそのブレンドの写真

このお店のブレンドは、

すぐ近くにある小さな珈琲豆屋さんで焙煎をされていると聞き、

そのお店に行ってみる事にしました。

そのお店に入ると、

小さな店内に広がる

珈琲豆を焙煎している空間のあの香り。

その香りを嗅いだ瞬間に、

八ヶ岳で珈琲を飲んだ時のあの気持ちが

鮮明に蘇りました。

これが私が珈琲に人生を救われた経験です。

いつか自分が焙煎した珈琲を通じて、

自分と同じように苦しい思いをしている人を少しでも安心させてあげられたら。

そんな思いが芽生えた経験でもありますね。

それからは何年か色々な職業を経験し、

少しだけ資金を貯めて、

八ヶ岳の麓を目指して来ました。

家と仕事を決めないまま、

軽自動車に着替えとギターだけ積んで。

そこで縁あった下諏訪町にて観音崎珈琲を設立しました。

色んな思い出が詰まった横須賀の地名を屋号にもらって、

初心を忘れないようにと。

自分自身が経験した人生の転機のそばにはいつも珈琲の香りと味があり、

それが思い出となりました。

観音崎珈琲創設以来、

ずっと大切にしている言葉。

「いつかあなたの思い出のひとつになりますように」

これが観音崎珈琲としてロースターになったきっかけです。

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以上、

「yatsugatake craft coffee roasters」

で紹介されているブログからの引用。

このブログを書きながら、読みながら、

自分自身でも感慨深いものがあります。

(結構染みったれた人間なんだな。とも改めて実感)

今でも、珈琲の香りで横須賀に居た頃を思い出す事があります。

それが珈琲の魅力ですね。

いつかは、

誰かにとって観音崎珈琲の珈琲の香りと味が思い出のひとつになれますように。

そう願いながら、

これからも頑張っていこうと思います。

さて、

長々と観音崎珈琲の自己紹介をしてきましたが、

これからのブログでは

色んな事を紹介していこうと思います!

キッチンカーの出店場所のお店の紹介や

オリジナルブレンド監修のお店の紹介など。

私の私物のレコードの紹介などもしていこうかなと考えてます。

またお時間がある時、

覗きにいらして下さいね。

それではまた。

※※※本日の珈琲※※※

[観音崎ブレンド]

今日はブログの内容からすごく懐かしい気持ちになりました。

このブレンドの香りはどこか懐かしさもあり、奥深い味わいとなっております。

観音崎珈琲を創設してから初めて作ったブレンド。カフェオレなどにもとても合いますよ。