追憶と大事なご報告

追憶と大事なご報告

【追憶と報告】


大事な報告があります。

それにあたり
少し過去を振り返ってみようと思います。


さらっと報告するだけっていうのが
どうもしっくり来ないのでこんなタイトルの投稿をします。

何について書くかというと、
「今までの自分がしてきた体験や決断について」
かな。


長文です。
でも読んでいただけたら嬉しいです。



神奈川県横須賀市という
異国文化が混じり合う、
少し独特な雰囲気の町で生まれ育ちました。

その町にはめちゃめちゃ格好良い人が沢山居て、
沢山の事を学んで、沢山の嬉しい事、悲しい事、悔しい事を経験しました。

その全部が自分の誇りになりました。

横須賀市にある「ドブ板通り」





でもある時から、
その町に居る自分自身が苦しくなった。
自分の事が嫌いというか、みっともないというか、なんと表現すれば良いかわからないけど。
22歳くらいの頃かな。

もう身体も思うように動かなくなっちゃって、
正直あの時は絶望しました。


その時の自分の環境を一度全部リセットして、なんとか少しずつ身体が動くようになって、

山梨に居る親戚の農家の仕事を手伝いに行きました。


その時に少し足を伸ばして、八ヶ岳の麓の気になっていたお店で
焚き火をしながら珈琲を飲みました。


その珈琲がとても美味しくて、
珈琲にのめり込むようになりました。

八ヶ岳の麓で暮らしている人たちは
どこか肩の力が抜けていながら、
地に足の着いた生活に見えました。

そんな人たちと話をしていると
すごく安心したのを覚えています。


「こんな人たちみたいな生活できたら良いな」

って思ったのと同時に

「きっとおれもこの辺りで生活するんだろうな」

って思いました。

毎年9月頃に訪れていた頃の八ヶ岳





そこからは横須賀に帰って、
いくつか仕事をしながら少しだけお金を貯めて、
家と仕事を決めないまま、
八ヶ岳の麓を目指して飛び出してきました。


その末に、
下諏訪町まで流れ着いて
「ホシスメバ」という空間と
沢山の人と出会ったんです。


わざと家と仕事決めないまま来て良かった。
そのお陰で本当に沢山の友達とも出会えた。

正直なところ、
一人も知り合いが居ない町に来て、
こんなに寂しくない生活ができるなんて思ってもいなかった。


そんな人たちに恩返しがしたくて、がむしゃらにやってこれました。



自分にとって横須賀で生まれ育ったのは誇り。
でもそれって横須賀が誇りというより、
横須賀で一緒に過ごせた人たちの事が誇りなんです。


それと同じくらい、
下諏訪町も大好きな場所で、
下諏訪町で一緒に過ごせた人たちが自分にとっては誇りなんです。



下諏訪町に移り住んでから、もう5年。


下諏訪町に来てから立ち上げた
「観音崎珈琲」も
本当に沢山の人に支えてもらって、沢山の人に知ってもらえました。
沢山の人に自分の焙煎した珈琲を飲んでもらいました。


大事な屋号も
「観音崎珈琲」にして良かった。

「観音崎」は
自分が生まれ育った横須賀市にある近所の海っぺりの公園の名前です。

横須賀市の「観音崎」




長野県内をキッチンカーで回っていても、
「観音崎って横須賀のでしょ?」
ってよく声をかけていただきます。



自分にとって唯一の生まれ育った町を、
忘れたくなかったのと、

横須賀に居た頃に、
自分の周りに居てくれた人たちにも
いつか届くように

って思いでつけた名前を


またもっと多くの人に知ってもらえるように。



八ヶ岳の麓で珈琲を飲んで、

自分の人生が救われたのと同じように


いつかはこの「観音崎珈琲」が
誰かにとって
ほんの少しでも安心できるものになれるように。




2023年6月頃、
下諏訪町内にて
お店をオープンします。




誰かにとって
ほんの少し休まる場所
ほんの少し勇気の出る場所
ほんの少し自分に正直になれる場所

を目指して


それと、
「観音崎珈琲」で自分の人生を変えたいんです。



これからも
観音崎珈琲にできることを
一生懸命やっていこうと思います。



観音崎珈琲とシマダミライを支えて応援して下さっている皆様、
本当にありがとうございます。


これからも
観音崎珈琲とシマダミライを
宜しくお願い致します。

解体開始前の店舗物件内にて最後に撮った写真